伊藤直之はその日も自宅の前でバイクをいじくりまわしていた。
今日は予想以上にメンテナンスに時間を要してしまい、朝から食事もせずにバイクと一緒である。

バイク大好きな直之にとっては、食事もせずこんなに時間は経ってはいるが楽しいのだろう。
だが今日は違った。
彼の頭の中には一人の人物の事が朝からグルグルと回りっぱなしなのであった。



-芭月 涼-



原崎から事情を聞き、涼が香港に行ったというのを知ったのはつい二日前の事であった。
それからというものの、直之はいつの間にか芭月涼という人物のことを深く考えるようになっていた。
本当に大事な人やモノの価値というのは、なくしてしまって初めて気付くのかもしれない・・・・。
直之は、涼がいなくなった後の自分の気持ちを考えるとそう思えてならなかった。
心配・・・・それとは違う。

涼とは長い付き合いである、あいつに心配がいらないのは判ってる。
だが今まで当たり前のように友達でいた芭月涼という人物は自分にとってどんな存在だったのか・・・。
バイクをいじりながらも、頭の中はそんな事で一杯である。
メンテナンスに時間が必要以上に掛かってしまっているのも少なくともその考え事にも原因があるのは自分でも判っていた。


「よ〜直之〜。」
「え?」


いつの間にか手の動きを止めていた直之に、誰かの声が掛かる。


「どうしたんだー?ボーっとして。」
「ああ・・・桜田か。」


声を掛けてきたのは、同級生の桜田伊知郎であった。
直之はバイクをいじるのをやめて立ち上がる。


「何か用か桜田?」
「いや、メシでも誘おうかなって思っただけだよ。」
「ああ、いいよ。行こうぜ。」
「バイク、いいのか?」


「いいっていいって、どこで食べるんだ?」
「ん〜。俺はどこでもいいかな。」
「何だよそれ・・・・・じゃあ、味壱行こうぜ。」
「味壱かあ。そんじゃあさっそく行くとするか。」


本音を言うと直之はこの誘いを断ろうと思っていた。
しかし、桜田とは話がしたい・・・・。



−芭月 涼−



彼の事で今、頭が一杯になっている自分を同じく芭月涼という人物と縁のある桜田と話す事で少しはこの考え事が晴れるかもしれない。
直之はそんな事を思いながら、桜田と一緒に味壱へと向かって行った・・・・・。



                                                ++++



「いらっしゃいアルーッ!」


味壱へと入って来た二人に店主である陶多吉の威勢のいい声が聞こえてくる。
店内はこの夕食時の為か、なかなか混んでいる。
直之と桜田はギリギリで空いていた席二つに座った。


「で、直之なに食うんだ?」
「う〜ん、まだいいよ。」
「・・・そっか。」
「なあ、桜田・・・・。」
「ん?」


直之は真剣な表情で桜田をじっと見つめる。
さすがに能天気な桜田も、これはなにかあるということ位は想像がついた。


「涼の事なんだけど・・・。」
「んん?涼がどうしたんだ?」
「あいつ・・・香港に行っちゃったよな・・・・。」
「ああ、最近俺も聞いたよ・・・。」
「・・・・・・・そうか。」


会話が一時途切れる・・・・・。
この期に及んで、直之は自分が桜田に何を言いたいのか自分でもよくわからなくなっていた。


「涼の事だから、どうせ無茶してんだろうなあ・・・。」


桜田が少し上を向きながら呟くようにそう言った。
彼も自分なりに、涼の事を心配してるのが直之にはよくわかった。
直之は思いついたように言葉を発した。


「涼って不思議な奴だよな・・・。いつの間にか色んな人があいつの周りに集まってる・・・。」
「・・・そう言われればそうなのかもな。」
「桜田、お前は涼が居なくなって寂しくないのか?」
「・・・俺が?」
「ああ・・・。」


桜田は思いもせぬ直之の質問に少し戸惑った。


「何食べるアルか?」


いきなりの陶おじさんの声に二人は驚く。
注文の事を二人供すっかり忘れていたのだ。
桜田は慌てて注文声を上げた。


「あ・・・ラーメン下さい。」
「俺もラーメンで・・・。」
「ハイヨー!ラーメン二つねー!」


陶おじさんは忙しそうに厨房へと戻って行った。
二人は再び会話を続ける・・・・。


「・・・・で、どうなんだ桜田?」
「う〜ん・・・。まあ、そりゃあ涼が居ないのは寂しいよ。」
「だろ?」
「そんな事聞いてどうすんだよ?」
「いや・・・・・。」


直之は意味もなくこんな事を聞いたワケではない。
自分の心の中にある、涼が居なくなってしまったという不安・・・。
自分以外にもその不安も持つ人がいる・・・その事実だけで少しだけ直之は気持ちが落ち着いた。


「けど・・・まあ、一番寂しいのは稲さん達だろうな・・・・。」
「・・・・!?」


その桜田の何気ない一言が直之の心には強い衝撃を与えた。
涼には待っている家族がいる・・・・・。
自分は涼の事で頭が一杯でそんな事も忘れていたのだった。


「そ・・・そうだよな。涼には待っていてくれる人達が一杯いるな・・・。」
「・・・おいおい、一体どうしたんだよ直之?」
「・・・いや、別に。」


直之は嬉しそうに微笑を浮かべながらそう言った。
桜田はそんな直之を不思<議そうに見つめている。
すると直之が突然、言葉を続けた。


「あいつには本当に感謝してるよ・・・。」
「あいつって・・・?涼の事か?」
「あぁ・・・。」
「感謝って・・・・何の事だよ?」


桜田がそう聞くと、直之は嬉しそうに話し出した。


「俺が小二の時の事覚えてるか?」
「小二の時?」
「ああ。」
「う〜ん・・・忘れちまったなあ、何があったんだ?」

「小二の時に俺、桜ヶ丘に引越して来たのは覚えてるか?」
「・・・・小二の時だったっけ?」
「・・・・・覚えてないならいいけど・・。とにかく小二の時に引っ越してきたんだよ。」 「うん。」

「それで小学校で、俺イジメにあってたのは覚えてるか?」
「ああ、そういえばそうだったな・・・。」
「涼がその時、イジメッ子から俺を助けてくれたのは覚えてるか?」
「そうだったんだあ・・・。まあ涼もあの性格だからそういうのは、ほっとけないんだろうな・・・」


桜田は珍しく真剣な面持ちで直之の話を聞いてくれているようだ。
直之はそれがたまらなく嬉しかった。


「俺達ってさ、涼とは長い付き合いだったけど、実際の所どれだけ涼の事わかってるのかな・・・。」
「う〜ん・・・・あいつは俺達と同じ所にいるように見えて、ずっと先にいたような気がするなあ。」
「だよな、俺達って涼の事知ってるつもりで何も判ってないみたいだな。」
「涼は、いつも俺達よりもずっと前に居たんだろうな・・・・。」


再び沈黙が起きる・・・・。
涼という人物をいくら語り合った所で、答えが出るワケでもない・・・。
しかし、何故か今は涼の事について話し合いたかったのである。
涼が居なくなって、生活の中で特別に変わった事はこれと言ってないのかもしれない・・・・。

しかし、心境の変化というものは少なからず涼に関わった全ての人に共通してあるはずである。
涼と対立していた人々、手を取り合った友達、遠くから見守っていてくれた仲間・・・。
冷静に考えれば、この芭月涼という人物ほど様々な人々の心に影響を与えたと思える人物を直之は知らなかった。
それなのに、いつの間にか自分だけが涼の事をよく知り、自分だけが涼の事を心配してるような錯覚をしていた。

涼が居なくなった寂しさと、その突然の出来事の焦りゆえの事であろう・・・・。
しかし、そんな考えも桜田との会話で吹き飛んだ。
涼の事を考える時はこれからも何度もあるだろう。
だが、そんな事は普通に考えればごく、当然の事である。

直之にとって嬉しかったのは、そうやって涼の事を考えてくれている人がいるという事実であった。
自分以外の人が、芭月涼という人物の存在を忘れてしまう・・・・そんなありえない不安をいつの間にか持っていてしまった。


「ハイヨーッ!ラーメン二つアルー。」


いつの間にか陶おじさんがラーメン二つを持って立っていた。


「ああ〜、そこに置いて。」
「ごゆっくりアルー。」


陶おじさんはラーメンをテーブルに二つ置き、厨房へと戻って行った。
ラーメンからはスープの湯気とともに、とてもいい臭いがしてくる。
桜田は目を大きく開けながら、割り箸を取って二つに割った。


「うっひゃあ、旨そうだなあ!いっただきま〜す!」


桜田は勢いよくラーメンをズルズルと食べていく。
すると、そんな桜田を微笑ましげに見ながら、直之が口を開いた。


「なあ、桜田・・・。」
「んん?」


ラーメンがまだ口から伸びている状態で声を掛けてきた直之を不思議そうに見つめた。


「このラーメン食い終わったら、涼の家行かないか?」
「何でだよ?涼はいないのに・・・?」
「稲さんと福さんに会いに行くんだよ。」
「・・・・・何しに?」
「いや・・・何かよくわかんないけど、あの人達と話がしたくなってきちゃってさ。」
「ふ〜ん・・・・まあ俺はいいけど?」


桜田は少しだけ疑問を持ちながらも、そう言って再びラーメンを食べ始めた。
それを見た直之も、割り箸を割ってラーメンをやっとの事で食べ始める。
余計なお世話かもしれない・・・だけど稲さんと福さんを何故か妙に励ましてあげたい・・・。
直之は、いつの間にかそんな自分でもよく判らない不思議な気持ちになっていた。



(涼・・・・お前を心配してくれる人達がこんなにたくさんいる・・・絶対に生きて帰って来いよ!)



そんな事を心でそっと叫びながら、直之は熱そうにラーメンを口に含んでいく。
不安や焦りなど、どこにもなくなったそんな直之の表情は、とても晴れやかである。


涼の帰りをこれからも信じて待ち続ける事を改めて誓えた、そんなある一夜の出来事であった・・・。


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