もう何度目の夜を数えたんだろう。
あなたが居なくなってから、それからの夜の数をこうして数えてしまう自分が居る。
ベッドに隠れるように潜り込んでも、なかなか寝付けない。
せめて夢で逢いたいなんて思いながら、目が覚めてあなたが居ない現実を感じるのが怖い。
そんな風に思えば、眠ることさえ怖くなる。


「眠れない……」


うわ言のように今日も、そう呟きながら起き上がる。
開放した窓から、この感情を宥めるように、優しい風が吹き付けてきた。
全身でこの風を感じたい衝動に駆られる。
何が待っているわけでもないのに、私は急ぎ足で部屋を出た。
部屋を出たと同時に、出入り口の方から一定のリズムを保った足音が聞こえる。
付き合いが長いと、案外足音だけでも誰だかわかってしまうものなのかな。
予想通りの足音の主が、私を見つけた。


「芳梅」
「あ、秀瑛さん、今お帰りですか?」
「ええ、どうしたの?」


秀瑛さんって不思議。
いつだって私が辛い時、いつの間にか側に居てくれる不思議な存在。
そんなことを考えてたら、抑えてた感情が表に出てしまうのに。


「泣いているの?」
「えへへ、違いますってー!」


無意味な否定をしながら、私は両袖で瞼を少々乱暴に擦った。
秀瑛さんは諦めとは違う、静かなため息をつきながら私に優しく言う。


「風にでも当たりましょうか」


秀瑛さんと話す時はいつもそう。
まるで全てを見透かされてるような錯覚に陥ってしまう。
秀瑛さんの体に気を使うことまで忘れ、私は首を縦に大きく動かしていた。
子犬のように秀瑛さんに着いていく私を見たら、あなたは笑うのかな。
秀瑛さんは暫く何も言葉を発さなかった。
元々お喋りな人じゃないけれど、今日は何故かそれを強く感じる。
開けた扉の先の空には、曇り空に隠れた、濁った月が私達を出迎えてくれた。
風はやっぱり優しい。


「文武廟まで散歩しましょう」
「はい!」


秀瑛さんの声は優しかった。
そこまでしなくても良いと言う程に、ゆっくりと歩を進めだす。
私は秀瑛さんの横に並び、その歩調を合わせる。
隣を歩く秀瑛さんの顔は笑っているようにも、悲しんでいるようにも取れた。


「あの、秀瑛さん……」
「なに?」


躊躇うように静かに深呼吸をしてから、私は私の思いをぶつける。


「時々、駄目なんですけど、後悔しちゃう時があるんです。涼さんを止めた方が良かったんじゃないかなって」
「そんなことしても、彼は止まらなかったと思うわ」
「そうですけど……」


時々、不安になる。
あの人を見送った時、私は本当の気持ちから、あの人に言葉を投げかけられたのかと。
今更、と言われれば返しようのない後悔が、なかなか消えてくれない。
前向きがウリの私がどうしてこんな気持ちになるのかと考えれば、答えは一つしかないのだけれど。


「彼は帰ってくるわ」
「そう……ですよね」


秀瑛さんにばれないように、私はもう一度、瞳に溜まった涙を拭い取った。
気持ちの安らぎを感じる。


「……ただね」
「はい?」
「あなたが彼を心配するように、最近のあなたを見て私も心配してるのよ」
「どうしてですか?」
「あなたは、隠し事が下手なのよ」


はっきりと、秀瑛さんは微笑みをその澄んだ顔に貼り付かせて言った。
見透かされてると思ったけど、私がわかりやすいだけなんだ。
もう全部ばれてるんだ。
そう思った途端、心の重みが無くなるのを感じた。
そう思った途端、溜め込んだ感情が溢れ出るのを感じた。


「やっぱり、寂しい……です」


秀瑛さんは何も言わない、それでも私の言葉は止まらない。


「でも、このままじゃいけないって……涼さんを信じなきゃって思う程、反発しちゃう気持ちがあって」


止まらない。


「自分でもわからないんです」


秀瑛さんは何も言わないで、泣き声交じりの私と歩幅を合わせてくれる。
どうにかしてほしいわけじゃなくて、唯、聞いてほしかった気持ち。


「涼さんなら大丈夫ですよね…」


風に消え入りそうなほど、頼りない声だった。
もうその後は、啜り泣く声だけが夜の大老街に静かに響いていく。


「階段、気をつけなさい」


泣きながら歩いているうちに紅華台まで来ていた。
老師はいつも、余計なことを言おうとはしない。
その事実は今、優しすぎて、その事実に今、甘えていたい自分がいる。
泣くのに夢中な私は階段を上がることさえ忘れていた。
泣いている私を見つめて、老師が一歩も動かないでいてくれたことさえ気付かないでいた。


「芳梅」


泣き声に混じり、うまく聞こえなかった。

「芳梅」


さっきよりも優しい声が、私の耳の中に入り込んだ。
私は泣くのを止めずに、そのまま老師の顔を見た。
笑っている。
私は泣いていて、老師は笑っていた。


「全部、みんなわかってるのよ」
「……みんな?」


老師の視線が私から階段の上へと移動する。
それに釣られ、訳もわからぬまま上の方へ目線を上げた。


「あ……」


階段を上りきった先から私達を優しく見下ろす三つの人影。


「漢輝さん、士全さん、済良さん……どうしてこんな時間に?」
「あなたは隠し事が下手って、言ったでしょ」
「じゃあ、私の為に集まってくれたんですか?」
「彼の無事を皆でお祈りしましょう」
「秀瑛さん……」


まだ足りないのかと問い詰めてしまいそうなほど、新しい涙が込み上げる。


「おーい、早く来いよー!」


士全さんが、大げさな身振りで呼んでくる。
私と秀瑛さんは、見つめ合って少しだけ呆れるように笑った。


「あなたは独りじゃないことを忘れてはいけない」
「はい!」


私は秀瑛さんを追い越して階段を勢い良く駆け上がる。
心と比例するように、私の体は軽かった。
少し上ったところで、私は秀瑛さんに振り返る。


「秀瑛さん……いえ、老師の演舞が見たいんですけど!」


私の強い物言いに、秀瑛さんは黙って頷いた。


「二人とも早くー!」
「はあい!」


士全さんに急かされながら、私は階段を駆け上がる。
駆け上がりながら考えた。
あの人のこと。
あの人の為に出来ること。
あの人のことを考えてたこと。
それが私独りじゃなかったこと。



たくさん泣いて、たくさん泣いて、やっぱり私は笑ってた。

広告 [PR]スキンケア  転職 化粧品 無料 ライブチャット