「情けない・・・・。」


某病院の一室にて


鏡に映る自分自身に、貴章は吐き捨てるようにそう言った。
部屋にはその鏡以外、唯一つと思われるベッドがポツンとあるだけである。
左足のギブスが痛々しいその姿で、貴章は松葉杖をつきながら鏡を覗いていた。
この怪我を見る度に、あの時の悪夢のような出来事が脳裏に蘇る。


涼を助けた事に悔いはない。
むしろ心は満ち足りているに違いない。
しかし、自分はこうして怪我をして病室で一人で居るという事が貴章にとっては許せなかった。
怪我さえしていなければ今頃・・・・・。
そんな考えても仕方ないことでさえ、頭の中に浮かんできてしまう。


コンコン.....


突然のノック音。
貴章はそのままの状態で顔だけを扉へと向ける。
扉の向こうから囁くような声が聞こえる。

「私だ。」
「・・・・どうぞ。」


貴章の言葉の後、ゆっくりと扉が開かれる。
開かれた扉から入って来たのは、父である陳耀文であった。
入って来たと同時に自然と耀文の視線はその左足へと注がれる。


「どうだ?」
「・・・・まだですね。」
「そうか・・・・今は早く治す事だけを考えなさい。」
「はい。」


貴章はそう言い、慣れない松葉杖をつきながらベッドへと戻る。
それを確認すると、耀文は扉を閉め貴章の元へとゆっくりと歩いて行く。


「あれから一週間か・・・・。」
「・・・・早いですね。」


耀文が言うあれとは、涼が旅立ってから一週間という意味であろう。
今でもあの出来事が昨日の事のように思えてならなかった。
貴章は枕元にある小説を手に取り読み始める。
退屈な入院生活の中、暇つぶし位にはなると思い耀文に持って来てもらった物である。
だが、いくら集中して読もうが気付けば頭の中は涼の事ばかりが浮かぶ。


大丈夫だろうか?無茶をしていないだろうか?
不安ばかりがよぎっている貴章に対して耀文が静かに口を開く。


「貴章。」
「え?」
「彼なら大丈夫だ。」
「あ・・・・はい。」


そう言うと、貴章は少ししか読んでいない小説を再び枕元へと戻し、窓の外を眺め始める。
季節は冬、静かに舞う粉雪が美しい。


「俺もまだまだ修行が足りませんね。」
「急にどうしたのだ?」


雪を眺めがら、独り言のようにそう呟く貴章に耀文は少し驚いた表情を見せる。


「あの鉄骨さえ避けられていれば、今頃俺は芭月と一緒だったはず・・・・。」
「・・・・助けたことを悔いているのか?」
「そうじゃありません。ただ怪我をした自分自身が情けなくて・・・・。」
「あの状況では仕方あるまい、気にする事はない。」
「・・・・・はい。」
「・・・・・・彼の事が心配なのか?」
「心配じゃないと言えば嘘になりますね。」


窓の外に視線を向けたまま、貴章は思わず苦笑いを浮かべる。
涼と接した時間は長くはない、それでも自分なりに芭月涼という人物がどんな者か理解したつもりだ。
だからこそ、涼が香港で無茶をしでかすであろう事は想像に難しくなかった。
芭月涼という人物が、いつの間にか自分にとってこれほどまで大きくなっていたである。
最初は仕事の邪魔になるだけのガキだと思っていた、それが今ではかけがえのない友へと変わっているのだ。
冷静に考えると、それがとても不思議な事である事に貴章は今になってやっと気付く。
仕事一筋で今まで友人を作る事など考えもしなかった自分が、友を心配している。
つくづくあの芭月涼という人物の不思議と人を引き付ける力を、貴章は改めて感じていた。


「・・・・・ちょっと屋上へ出てきます。」
「気を付けるんだぞ。」
「嫌だな、子供じゃないんですから。」


ベッドの横に掛けてある松葉杖を手に取り、ゆっくりと貴章は立ち上がる。
少し難しそうに、一歩一歩慎重に貴章は外へと出て行く。
耀文は、そんな貴章を微笑を浮かべながら姿が見えなくなるまで黙って見続けているだけだった。



                               ++++



相変わらず外は粉雪が降り注いでいる。
病院の屋上ではすでに雪は積もり、美しい銀の世界を作っていた。
そんな時、屋上のある唯一の扉が静かに開かれる。


「・・・・冷えるな。」


扉が開かれた瞬間、貴章の体に冷たい風と粉雪は容赦なく降り掛かる。
それでも構わずに扉を閉め、一歩一歩前へと進んで行く。


ザクザク......


雪の中を進むには左足を怪我している貴章には少々きつい。
やっとの事で手すりまで辿り着くと、松葉杖をすぐ横に置き、両手に手すりを乗せてもたれかかる。
歩く事に夢中で気付かなかった粉雪の美しさに、貴章はしばし見惚れる。
少しした後に貴章は煙草、そしてライターを取り出し、手で覆うように火をつけた。


「・・・・・フウ。」


白煙が雪の空を静かに舞う。
貴章は改めて芭月涼と言う人物への不思議な思い、それを改めて感じざるをえなかった。


「友の危うきに身を捨て、悔いる事なし・・・・・。」


無意識のうちに呟くその言葉。
友を助けた事でなく、怪我をした事を悔いる自分。
今はこの左足を治す事だけを集中すればいい。
確かに父の言うとおりだろう。
だが、彼の心はそれを許そうとはしなかった。
いつも気付けば怪我をした自分の不甲斐なさを思う自分がいる。
いくら父から助言を受けても、心の中は自分を責める自分しか居なかった。


『貴章』

「?」


自分を呼ぶ不思議な声。
まるで自分の体の中から響くような、そんな声だ。
貴章は周りを見回すが、誰も居ない。


「・・・・誰だ?」

『俺の声を忘れたのか?』

「・・・!!」


再び聞こえるその不思議な声に貴章はハッとする。
確かに聞き覚えのある声。


「・・・・・・芭月か?」

『・・・・覚えててくれたか。』

「当たり前だ。」


不思議と今の状況に冷静な自分を変に思う事もなく、貴章はここには居ない涼と会話を続ける。


『怪我の方は大丈夫か?』

「大した事はない。」

『俺のせいですまない・・・・。』

「気にするな、それより・・・・」

『何だ?』

「俺が行くまで・・・・無茶をするなよ。」

『・・・・ああ。』


会話が止まる。
もっと言いたい事があるはずだが、貴章はそれを言葉に出来ずにいた。


『ありがとう。』

「・・・・ん?」

『お前が助けてくれなかったら、今頃俺は・・・・。』

「気にするなと言ったろう?」

『ありがとう。』

「・・・・・・・俺も感謝している。」

『え?』

「いや・・・・何でもない。」

『そうか・・じゃあそろそろ俺は行かなきゃ・・・。』

「行くって・・・一体どこへだ?」

『じゃあな貴章、香港で待ってる・・・・。』

「ま、待て芭月!俺には、まだお前に言いたい事が・・・!」


屋上に貴章の声が空しく響き渡る。
いくら待っても、涼の声はそれきり聞こえて来なかった。
再び貴章は、誰も居ない屋上を見回す。 見えるのは舞う雪だけ。


「幻聴か・・・・・?」


だが、それでも構わなかった。
涼の気持ちを、たとえ幻聴でも教えて貰った気がする。
ありがとう。
その一言で、何故だか怪我をした事を悔やんでいた自分がそこにはもう居なくなっていた。
今まで何度も言われ、聞いてきたありふれた言葉、それがこんなにも心に響いたのは初めてである。


「必ず行く、待っていろ朋友。」


そう言い、貴章はポケットから再び煙草とライターを取り出し、火をつける。
ここまで一人の人間を心配する自分など今ままで有り得なかった。
父以外にここまで一人の人間を信頼する事もなかった。
だが友との誓い、それを必死に守ろうとする自分が確かにここに居る。


「・・・・フゥ。」


鮮やかな雪の空に、再び白煙が舞う。
もはやさっきの声の正体などどうでもよくなっていた。
友を思う気持ちのあまりの幻聴、それでも構わなかった。 そのお陰で今、こうして気持ちの整理がついた自分がいる。
もう少しだけ、このまま友との思い出に浸りたい。
粉雪が静かに、そして美しく舞う屋上にて一人、友への思い、そして誓いを貴章は更に強く心に刻み込む。
確かに聞こえた友の声、それが何だったのか知る者は誰もいない。

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